毎年この時期になると思うことがある。
それは、映画「亡国のイージス」の中の言葉であり映画監督の主張でもある
「自分で自分の国を守れない国に国家を名乗る資格はない」
という言葉だ。
管理人は学生時代、国際政治学を専攻していたのでより感じる部分もあるが
これは国際政治の世界では至極まっとうで当たり前のことだ。
なぜかと言うと、国際政治の舞台では軍事力、経済力両方を持って
国力というのが一般的であり、その国力に応じて国際社会での発言力や
各国への影響力が決まるのが現実だからだ。
よって我が国は経済力はあるが軍事力は米軍に
お金を払ってアウトソーシングしているので国際社会においての
プレゼンスはないと言っても過言ではない。
結果として金を出すだけの外交しかできない国と成り下がっている。
結論から言うと、我が国は国際政治学上では主権国家ではなく、
アメリカに依存した属国ということになる。
それは日米地位協定やTPP交渉における不平等な交渉内容を見ると
火を見るより明らかだろう。
これについて極論だという人もいるかもしれない。
確かに端から見れば我が国は独立しているように見える。
それは国連にも加盟しているし、政府もあるし、
各国が日本国を国家と認め国交を樹立しているからだ。
しかしそれはパクスアメリカーナの平和の下で成り立っているだけであり、
今後もしアメリカがコケたら日本もコケるということを意味している。
これは軍事力ではなく、経済的にもそうであり、
その例がアメリカ発のリーマンショックによる
日本経済におけるインパクトの強さがそれを証明しているといえよう。
はやい話が、親会社がコケたら子会社がコケるのと同じ構図だ。
見た目は主権国家を名乗っていても、実際は主権国家ではない。
大東亜戦争後70年になろうとしている中、未だにアメリカの顔色を
うかがった外交しかできない。
こんな嘘っぱちの独立を守るために帝国軍人の将兵が死んでいったのかと思うと
いたたまれない気持ちになる。
明治維新後、日本人は積極的に海外にでて留学し、
アジア諸国のほとんどが欧米の植民地となった中で
唯一独立を守り列強と言われる国となり、
当時世界一の海軍力を誇った輝かしい「日出づる国」
であった。
この誇りをもう一度取り戻すことが、
靖国神社で合祀されている英霊、
千鳥ヶ淵の全戦没者に対する最大の弔いではないか。
俺のような小市民がここで吠えたところで現実は変わらないが、
少なくともこういう思いを持つ人間が増えてほしいと思う。
われわれ日本人は平和ボケしている場合ではなく
なぜ今平和でいられるのは、パクスアメリカーナの
下に存在しアメリカによって担保されている平和なだけであって、
我が国が自分で勝ち取った平和ではないことを
認識しなければならない。
また1965年アメリカの国防長官マクナマラによって提唱された
相互確証破壊理論に基づく核の下の平和であり、
いつ壊れるかわからない脆い
ものであることを認識する必要がある。
国際政治学を学ぶといかに日本の平和が脆いものかがよくわかる。
こういう重要なことは、マスコミも政治家も義務教育でも
教えないし
語らない。
知らないのは世界で日本人だけという知らぬが仏状態だ。
「自分で自分の国を守る」
終戦の日を迎え、我が国が真の意味での主権国家と
名乗れる日が来ることを期待し
全戦没者に対するはなむけとする日が来ることを切に望む。