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西風浪漫BLOG

陸上自衛隊 予備自衛官の バイク乗りが日常感じたこと、 大切な人々やモノを独断と偏見で好き勝手に語るぜ

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トライアルグローブ

愛用のトライアルグローブ



警察がトライアル競技に採用しているBOSCO MOTOのグローブだ。




仕事帰りにオフロードやウイリーの練習をするときに使っているのだが、数年来の使い込みで破れてしまった。


ずっと練習に使っていて愛着があるため簡単には捨てられない。



会社でちくちく縫っていたら、ヘタクソに見えたらしく女の子に縫ってもらいました。



裁縫は一年に数回自衛隊の訓練の時、戦闘服に階級章を縫う作業があるのだが、それしかやったことがないからうまい訳がない。



完璧な仕上がりです。



ありがとうございます。






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ワンス・アポン・ア・タイム2017ラストデー

 
 
大東京ネズミ帝国の大人気イベント ワンスが今日で終了。
 
 
ワンスは娘と一度しか見てないので最後見納めに行ってきた。
 
 
いつも通りのエクストリーム退社を決行し、愛車BMW R1200STで大東京ネズミ帝国へ急行。
 
 
 
 
本日2回目のショーは2030時より始まるが、1回目の終了時から場所取りする輩が多いので場所取りは諦めた。
 
 
 
真ん中ら辺で見れれば恩の字だろうと思っていたら、平日だけに割と空いていて立ち見席約20m後方のセンターをゲット。


周りは女子だらけなので背が高い奴もいないのでなかなかいいポジションだ。



後ろ側は光り輝くワールドバザール
 








 

 
 



ワンスの見納め最高だった。次はいよいよクリスマスファンタジーが始まる。









 

大東京ネズミ合衆国

 
先日、一日だけ海外旅行した。
 
 
大東京帝国と交戦状態にある大東京ネズミ合衆国へ一日ビザを取得して入国した。
 
 
娘はラプンツェルのコスプレなので合衆国内では「姫ごきげんよう」 と最恵国待遇を常に受けご満悦。
 
 
大東京ネズミ合衆国の正式名称は「東京ディズニーランド・東京ディズニーシー・イクスピアリおよびホテル連合合衆国」である。

ちなみに国旗はこれである↓


 
現在この国は小池百合子率いる大東京帝国から分離独立したため交戦状態となっている。
 
 
理由は地政学上、チバラキ共和国にある領土なのに「東京」を名乗っているのが気に入らないそうな。
 
 
管理人が入国した時も夜中にオリエンタルランド特別区にある首都シンデレラ城が大東京帝国空軍から爆撃され炎上…


したかのようなとてもキレイな夢のようなショーで不覚にも泣いてしまった。
 

撮影データ
ISO 3200
露出 F2.8
露光 1/30
WB   AUTO
機材 SONY RX-10

 
撮影データ
ISO 1600
露出 F8
露光 1/40
WB   AUTO
機材 SONY RX-10

自衛隊の同期が辞めて、アルバイトでパフォーマーのキャストをずっとやっている。パレード見ても、統率のとれたパフォーマンスは精強な自衛隊を見せる観閲式の訓練並みの努力が必要なはずだ。

彼女が自衛隊を辞め、人生をかけてパフォーマーを続けている理由が少しわかった気がした。


 
暑い中、大汗をかいても最高の笑顔と全力のパフォーマンスを見せるキャストのプロ意識の高さはフィールドが違えとも自分がもっと意識しないといけないことだと思った。

 
撮影データ
ISO 3200
露出 F4
露光 1/40
WB   5500K
機材 SONY RX-10

多分、娘よりワクワクして楽しんでいたのはオレだと思う。


 
すてきな女性とデートするのもいいけど、娘と二人っきりのディズニーデートもいいね。

買ってあげたぷーさんのフィギュアずっと抱っこしながらいっしょに歩いているのを見てキュンとしちゃいます。


22時前にビザが失効するので大東京ネズミ合衆国から出国する。首都高湾岸線をブッ飛ばす。


4000cc V6直噴エンジンの咆哮が東京港トンネル内に響きわたる。


大東京帝国の警視庁高速道路交通警察隊にお世話になることなく無事に帰国。


ディズニーは、実は子供向けのファンタジーだけでなく大人向けの作品もありますから、大人になってもやめられない。

パレードやショーは、ライブに行っているような感覚でいる。

 パフォーマーの個性的な衣装や音楽も今風なアレンジでサイコーです。


たくさんお金が出ていく謎の大東京ネズミ合衆国だが…やっぱり「夢の国」。

撮影データ
ISO 100
露出 F8
露光 1/2
WB   AUTO
機材 SONY RX-10
機材車 米国製軍用4輪駆動車
三脚 ベルボンUT-60Q
 

復刻版

 
復刻したスナップオンのボックスレンチを衝動買いしてしまった。
 
 
 
久々にスナップオンバンのOさんがガレージに遊びに来たので雑談。
 
 
 
このボックスレンチはずっと使っていたものだが10年ぐらい前に破損してしまい、同じものを購入しようとしていたが終売となっていた工具だ。
 
 
こいつはバイクの整備でとても使いやすいサイズと大きさでとても重宝するものだ。
 
 
 
再販されたことを知り、即衝動買い
 
もちろんMADE IN U.S.A ミラーフィニッシュがまぶしい。

表面硬度が非常に硬く仕上げているのでぶん投げたり、コンクリートに落としたぐらいでは傷一つつかない。
 
 
 
 
正規価格11700円也。たったこれ一本で国産安物のクソみたいな工具セットが買えるぐらいの値段ですね。
 
 
 
 
この値段を高いと見るか安いと見るかは人それぞれだが、一生使える一流の工具を購入したという事は事実である。
 
 
 
奥さんにはもちろん内緒であり、ヘソクリ購入したことを話したりしたらヒステリーを起こし、罵詈雑言を浴びせられ、育児放棄してしまうのですぐに鍵付のチェストケースにしまう。
 
 
 
ちょっと工具自慢すると、このアメリカ製チェストケースのみで25万円。
 
 
でもって中身の工具は約100万円だ。別に工具をガレージに並べてコレクションしているわけではなく、バイクの車体やエンジンを全てバラして、自分で組み立てるのに必要で使うものしか入っていない。
 
 
 
ちなみにこのピンクのドライバーセットは北米限定カラー品で日本にはほとんど入ってこなかったレアものだ。
        
 
 
 
これだけで35000円。
 
 
 
 
 
バイクに乗ってから18年間ちまちま集めてきたものだ。
 
 
 
 
管理人はシンプルライフが好きで必要のないものは極力持たないことを心がけている。世間では断捨離が流行っていてミニマリストなんて言葉も生まれている。
 
これに似た考え方だ。お気に入りの服やサイフやバック、アクセサリーしか持っていない。一軍のものしかないのでサブとか予備という概念がないのでお気に入りのモノ以外は持っていない。
 
 
 
衝動買いしてしまったが、満足している。物を買う時のルールは人それぞれだが管理人は迷ったら絶対に買わないかな。
 
 
理由は物に対して迷いがある時点で、なにかしら納得がいかない不審点や欠点があるといこと。
 
 
納得のいかない物は持たない。納得のいかないものというのは使ったり、服であれば着ているうちに不満がたまってしまい、結局使わなくなったり着なくなったりする。そうすると捨てることになり、お金は無駄となるのだ。
 
 
ただし・・・
迷う理由が「値段」なら買いだ。
 
 
 
座右の銘「迷う理由が値段なら買え、買う理由が値段ならやめとけ」だ
 
 
 
管理人はシンプルライフを心がけている分、モノがとても少ない。なのでどうしても欲しいと思った物の値段が高いとしても、
「絶対に自分の生活を豊かにしてくれる」と信じて購入する。
 
 
物を買う時に、「高い」「安い」を意識するがこれは自分の基準でしかない。しかもその基準は一定ではなく、その時のお財布の中身やカードの使用状況、お給料事情等で左右される。その流動的な基準で「高い」「安い」を判断していることが多い。
 
 
別の見方をすると、物はそこまで値段が流動的ではなく安定している傾向にあり、少なくとも値札の価値があるという事だ。
 
 
 
だから「買う理由が値段ならやめとけ」なのだ。
 
 
 
それに「安いから」と理由で購入しちゃうと、価値の低いものを買ったことになる。物に対して愛着も湧かないし、1つの物を長く使おうと大切にしなくなる。「安物買いの銭失い」という言葉があるように、安いからを理由に購入しちゃうと後々後悔することが多い。
 
 
 
その理由として100円ショップで買ったもので1年以内に残っているものは存在しているかと自分の家を見返してみるとすぐにわかることだ。
 
 
 
100円ショップで安いからとあれもこれも買ったものは自分の人生を豊かにしてくれるものではない。
 
 
 
完全に無駄遣いである。
 
 
 
100円で買ったものをあなたは大事にしますか? そんなものが家に帰ってきたときに目に入ってきたら幸せを感じますか?
 
 
100円ショップで買ったものをヤフオクで出品して100円で売れると思いますか?
 
 
そう考えるとおのずと100円ショップで買うアホさ加減に気付くはずだ。
 
 
 
スナップオンの工具はオールドスナップオンと呼ばれるようになりヤフオクで買った時以上の価値になることが多い。
 
 
 
 
物に溢れ、飽食な時代は何でも手に入る時代だ。それだけにホントにお気に入りのモノ、ステキなモノを探すのが逆に難しいと思う。




直感的にこれはイイものだと感じたなら値段を気にすることなく買うといい。それを買ったことで不要となった二軍のものはすぐに捨てよう。
 
 
そうすればいつの間にか自分の周りがお気に入りのモノで囲まれていることに気づくだろう。
 
 
今回はスナップオンの工具だが、服やバック、フライパンでも同じことだ。自分の価値を高めてくれて、お気に入りのモノに囲まれた生活は人生を豊かにしてくれると思っている…
 
 
 
 
 
が…
 
 
 
奥さんに理解してもらえないのが悲しいね。
 
 
 

AI時代の到来と教育

今回は戦後日本の教育がAI時代においてどのような弊害があるかを独断と偏見で論じたいと思う。
 
 
日本は戦後GHQにより教育勅語が禁止されたため、「個性を殺し平均的な人間の育成」という教育方針に変わった。
 
 
理由は、技術力があり勤勉で愛国心に溢れ、積極的に海外進出をするバイタリティ溢れる日本人気質を恐れたのだ。
 
世界初の空母機動艦隊を運用し、世界初の潜水空母(伊400型)を実戦配備して米本土を爆撃し、当時最高性能の酸素魚雷で音も航跡もなく米海軍の空母を撃沈した外国は歴史上、後にも先にも日本だけである。再び日本がライバルとなることをアメリカは恐れたのだ。
 
 
この教育方針に加え、敗戦国の罪意識を植付け、愛国心に蓋をするという教育を日教組がプラスして、戦後日本人はナショナリズムを完全に失うこととなった。
 
 
日教組の教育は管理人が所属していた陸上自衛隊を社民党党首に「殺人集団」呼ばわりされ、時の官房長官には「暴力装置でもある自衛隊は特段の政治的な中立性が確保されなければならない」と言われるまでに浸透している。
 
 
「殺人集団」に「暴力装置」ですからね。管理人はお給料もらって素手で人を絞め殺す練習をしてたので若干やむを得ないが、攻撃的な兵器を持たず専守防衛しかできない自衛隊を「殺人集団」呼ばわりは看過できませんね。
 
 
話は戻り、GHQの「個性を殺し平均的な人間の育成」とはどのようなものなのか見てみよう。
 
 
これは社会で何の疑問も持たず大衆心理に従う集団の育成を目指すものだ。これは国家や社会、会社、使用者によってはとても都合のいいものだ。
 
 
なぜか?
 
 
替えが効くから。
 
 
 
平均的な人間と言うのはいくらでも替えが効くのだ。
 
 
また何の疑問も持たないので、国や社会、会社や使用者に刃向う事もない。ちょっとでも刃向った人間はクビにしてもいくらでも替えが効く。
 
 
要は人のモノ化を促進するためだ。
 
 
人のモノ化とは、抽象的な概念ではない。文字通りの意味である。人間が人間扱いされない。生きた人間そのものが「商品」や「物体」として認識され、効率的に使い捨てされるようになっていく。自分はそうではないと思っている人もいるだろう。
 
 
一体誰がそうなるのか。戦後教育によって何の疑問ももたず考えない人間だ。
 
 
古今東西、人のモノ化とは今に始まったことではなく、大昔からある。
 
 
人が人を支配してモノ化するというシチュエーションは、国が人を支配するに始まり、使用者が奴隷を支配するといったことだ。
 
 
大昔のことと思いきや現代でも形を変え、公然と行われている。会社が労働者を都合良く働かせ、要らなくなったらゴミのように捨てる。
 
 
 
なぜこのようになっているのか…
 
 
それは戦後教育のせいでなにも疑問を持たず、考えない人間が育ったからだ。
 
 
かつて第一次世界大戦で負けたドイツ国民はナチス党を第一党として民主的な選挙で選出したアドルフ・ヒトラーに従った。
 
ドイツが独裁国家と呼ばれるようになったのはその後の第二次世界大戦の結果としてなっただけであり、アドルフ・ヒトラーはれきっとした民主的かつ合法的な選挙で選ばれた人物だ。
 
 
なぜヒトラーが当選したのか?
 
 
戦後の混乱で連合軍に多額の賠償を背負わせられ、国内産業がガタガタになった時期に何も考えられなくなった国民は、道筋、生き方、働き方を強力に指導してくれる指導者を求めたのだ。
 
 
要は、戦後の混乱で自分で何か考えたり、決断したり、行動したりしなくてもいい楽な方法だったのだ。
 
 
独裁国家は考える人間を排除し、考えない人間だけを作り出し、そしてその「無脳集団」を自分の思う通りに動かして独裁を完成させる。独裁者が誕生するのは、独裁して欲しいと思う人がいるから選挙で当選するのだ。
 
 
自分で考えないで生きるというのは、誰かの駒になるということである。人間社会は昔から、考える人間が考えない人間を支配することで成り立ってきたのだ。ヒトラーの例は第一次世界大戦後の混乱時の話だが これは前述した会社にも当てはまる。
 
 
 
先月、うちの親会社に新卒の新社会人がわんさか集まって研修に来た。彼らの中には何か目的を持って会社に入ったというよりも、まわりに合わせて自分もそうした人も多いはずだ。
 
 
なんの疑問も持たずにまわりと同じようにやっていると、必ずモノ化されることになる。会社が労働者をモノ化するというのは昔から行われていることであり、チャップリンの映画のように労働者をモノ化する手法は確立されているからだ。
 
 
 
そして、日教組の教育が浸透してきた2000年代初頭から日本では大量に非正規の若者を採用して、つぶれるまで働かせて使い捨てするブラック企業が大量発生するようになった。
 


人間性を奪い取って、機械の部品のように働かせるのは、紛れもなく、人間の「モノ化」という視点がそこにあるからだ。
 
 
 
何の疑問も持たず、何も考えずに他人に自分の人生を委ねるというのは、とても危険なことなのだ。
 
 
戦後教育のように何の疑問も持たずに学校で先公の言うことを鵜呑みにし、みんなが行っているからとわざわざ莫大な奨学金を背負って無意味なバカ大学に入り、みんなが会社に入るからと自分も会社に入るような生き方をしている人は多い。


 
みんなと同じように生きていたら何も考えなくてもいいので楽だ。国も会社も親もあなたがモノ化していれば扱いが楽なのでモノ化するように働きかける。
 
 
だから誰もがモノ化して「考えない道」を選ぶ。
 
 
ずっとそんな生き方をしていたら、いずれ「自分で何も考えられない、決断できない、行動できない」人間と化す。何も考えられないから誰かに命令されるだけの人生になる。そう、楽な道を選んだドイツ国民のように。
 
 
そのツケは第二次世界大戦できっちり払わされることになった。
 
 
そして、自分の人生が自分のものでなくなり、誰かにモノ化されて、良いように使われて捨てられる。
 
 
まずは自分が今、モノ化されていないかどうかを考えなければならない。そして、モノ化されていることに気付いたら疑問を持たなければならない。

「それでいいのだろうか?」
 
 
何も考えないで生きていると、必ず誰かにモノ化されることになる。逆に言えば、考える力を取り戻すとモノ化から脱却できる。
 
 
そして考えることができるようになれば、モノではなくなる。
 
 
AIの発達でこの考えるという作業が人間に取って代わられるとどうなるのか…
 
 
そう、考えない人間は誰でもできる単純労働しか仕事がなくなり、アメリカのようにワーキングプアが蔓延する社会となる。
 
 
欧米では得意分野のある子どもにはその得意分野を伸ばそうとする教育をする。戦後日本では得意分野のある子どもには得意分野を伸ばさず、逆にその子の苦手分野を見つけて、苦手を克服するような教育をする。こうして個性を殺し、特段の得意なものをなければ、逆にそこまで苦手なものもないような平均的な人間が育つ。
 
だから英語が出来るだけで特別な得意分野がない日本人はグローバル企業で通用しないのだ。全世界のIT企業に出稼ぎしている北朝鮮人民軍のハッカーのほうがはるかに優秀である。
 
 
 
子どもを持つ親は子どもの将来のために「疑問を持つこと、考えること、得意分野をとことん伸ばすこと」この3つを大事にして子どもを育てることが重要になる。
 
 
とは言っても世の流れに逆らうことはたいへんだ。個性を出すと潰され、出る杭を打たれるのが日本の社会だ。
 
 
 
だが何も考えないで生きていくとどうなるかは戦後のドイツをみれば一目瞭然だ。
 
 
そのうえで考えて生きるという事を意識し、AI時代で生き残っていく側にサバイバルする必要がある。
 
 
戦後70年を過ぎ、そろそろ日本人は目覚める時が来たのではないだろうか。